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結城 直朝(ゆうき なおとも、応永17年(1410年)頃? - 明応2年(1493年)頃?)は、室町時代後期の武将で、白河結城氏7代当主。小峰朝親の子で、結城氏朝の養子となり跡を継いだ。小峰直親の兄、結城政朝の父。官位は左兵衛佐、修理大夫。法名は道朝。 永享4年(1432年)に修理大夫に任ぜられた。永享の乱で活躍し室町幕府の支持を得て、南奥州や北関東の諸氏に対して勢威を及ぼした。 長禄2年(1458年)、享徳の乱で古河公方足利成氏によって関東から追放された宇都宮等綱を保護している。同年、幕府から成氏討伐を命じられ、奥州探題大崎教兼と共に出陣するよう命じられているが、関東に出陣する事はなかった。代わりに、文明4年(1472年)に2派に分裂していた下野国人那須氏それぞれの当主・那須明資と那須資実の仲介をしたり、他家の紛争に介入して所領を得たり、蘆名氏の内乱の際は当主盛詮を救援するなどしている。白河結城氏の勢力が頂点に達したのは直朝の代である。 文正元年(1466年)に子の政朝に家督を譲り、出家して道朝と号したが、その後も実権は持ち続けた。文明13年(1481年)に政朝が催した連歌会(「白河万句」)に出席している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「結城直朝 (白河氏)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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